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千葉地方裁判所 昭和36年(ワ)342号 判決 1964年6月19日

原告 小出増雄

右訴訟代理人弁護士 関一二

被告 木下世美子

右訴訟代理人弁護士 牛島定

主文

一、原告の請求を棄却する。

二、訴訟費用は原告の負担とする。

事実

≪省略≫

理由

一、市原郡市原町辰已台西一丁目二番の三の土地(宅地一八〇坪)(以下、二の三の土地と云ふ)及び同町辰已台西五丁目六番の一の土地(宅地一五〇坪)(以下六の一の土地と云ふ)が、孰れも、現実に存在する土地であつて、右二の三の土地が別紙見取図々示の位置にあるA土地であること、又、右六の一の土地が同図々示の位置にあるB土地であることは、≪証拠省略≫によつて、之を確認することが出来る。

二、而して、証人鶴岡卓爾≪中略≫の各証言によると、原告及び右証人等は、孰れも、不動産業者であつて、他の同業者等と共に、十数名を以て、十日会なる法人でない団体を組織し(但し、後に至つて、その組織を株式会社組織に改め、その名称を千葉協同不動産株式会社と称するに至つた)、原告が、その代表者(会長)(内部関係に於ける代表者)となつて、不動産取引業を経営し、その取引は、代表者である原告個人名義(外部関係に於ては、原告個人として)で之を為して居たことを認定することが出来る。

三、而して、右六の一の土地が被告の所有であつて、原告が、昭和三六年九月二九日、被告の代理人である訴外麻生平胤との間に於て、右六の一の土地を、一坪について金二三、〇〇〇円の割合による代金三、四五〇、〇〇〇円で買受ける旨の契約を締結したことは、当事者間に争のないところであるから、右売買契約は、右六の一の土地即ち前記見取図々示の位置にあるB土地について為されたものであつて、その買主は、原告であると云ひ得るものであるところ、≪証拠省略≫を綜合すると、右土地の買受は、買主側の内部関係に於ては、前記十日会が、之を為したものであつて、同会は、その会員全員の合意によつて、同会に於て、之を被告から買受ける旨、及びその買受は、その代表者である原告個人の名義を以て之を為し、その実行は、訴外茂手木喜治が原告の名義を以て、之を為す旨を決定し、之に基いて、同訴外人が、原告の名義を以て、被告の代理人である右訴外麻生と右契約を締結するに至つたものであることが認められ、この認定を動かすに足りる証拠はないのであるから、右売買契約に於ける実質上の買主は、右十日会であると云はざるを得ないものである。

四、然るところ、≪証拠省略≫を綜合すると、前記売買契約は、その各当事者が、現地に於て、立会の上、前記見取図々示の位置にあるB土地を指示特定して、之を為したものではないこと、及び前記十日会の会員は、全員が、前記六の一の土地は、右見取図々示の位置にあるA土地(前記二の三の土地)であると誤信し、この誤信に基いて、右A土地を買受ける意思の下に、右六の一の土地を買受ける旨の決定を為し、前記訴外茂手木は、この決定に基いて、右A土地を買受ける意思の下に、右六の一の土地について、前記契約を締結するに至つたものであることが認められるので、右売買契約に於ては、その買主側に、その契約の目的物について、錯誤があつたものであると云はなければならないものである。

被告提出に係る証拠によると、右十日会の会員が、不動産業者として、通常為すべき調査を為したならば、右の様な錯誤は生じなかつた筈のものであると推認されるのであるが、それだからと云つて、現に、錯誤があつたと認められる以上、右推認によつて、現に、錯誤のあつた事実は、之を動かすことは出来ないものであるから、被告提出の証拠を以てしては、右認定を覆えし得ないものであつて、他に、右認定を動かすに足りる証拠はない。

五、而して、証人鶴岡卓爾、≪中略≫の各証言と≪証拠省略≫とを綜合すると、前記A、Bの各土地は、新に造成された辰已団地内の土地であつて、将来は、同団地に通ずる小湊鉄道が敷設され、同団地内にその駅が設置されることになつて居て、前記見取図々示の位置にあるA土地は、将来、駅前通りに面することになる見込のものであり、之に対し、右見取図々示の位置にあるB土地は、それからややはずれた位置にあるものであつて、右A土地に比し、位置が悪く、その地価も一坪について金一三、〇〇〇円乃至金一五、〇〇〇円程度のものであり、一方、右A土地は、右位置にある為め、その位置が良く、地価も右B土地に比し、遙かに高く、一坪について金二三、〇〇〇円を下らないものであることが認められ、この事実と右証人鶴岡≪中略≫の各証言とを綜合すると、前記十日会の会員は、右B土地を右A土地に対する価額である前記代金で買受ける意思は之を有しなかつたものであることが認められ、又、一般の人々も、右B土地を右代金で買受けることは、通常、之を為さないであらうと認められ、この認定を動かすに足りる証拠はないのであるから、前記認定の錯誤がなかつたならば、右十日会の人々は、前記買受の決定は、之を為さなかつたであらうと認め得るものであると云ふべく、従つて、前記茂手木も亦前記売買契約の締結は之を為さなかつたであらうと云ひ得るものであるから、右売買契約を締結するについては、買主側に、その意思表示の要素について、錯誤があつたものであると判定するのが相当であると云ふべく、然る以上、右売買契約は、その法律行為の要素に錯誤があつて、無効のそれであると云はざるを得ないものである。

六、併しながら、右十日会の人々が前記認定の錯誤に陥つたのは、以下に記載の経過によるものであることが認められるのであつて、即ち、右十日会の会員は、その会員である訴外鶴岡卓爾及び同近藤房吉の両名の申出によつて、前記六の一の土地を買受ける旨の決定を為すに至つたものであるが、右訴外人両名は、右六の一の土地は、前記A土地(前記二の三の土地)であると誤信して居たものであつて、右訴外人両名を除くその余の会員等は、右両名の申出について、不動産業者が通常為すべき何等の調査をも為さず、右両名の云ふことをそのまま信じ、その結果、前記認定の通り誤信するに至つたものであることが≪証拠省略≫によつて認められ、一方、右六の一の土地について、最初に、その買受の交渉を為したものは、右訴外鶴岡卓爾であつて、同訴外人は、昭和三六年九月初頃、かねて知合の間柄であつた訴外根本忠に、前記辰已団地の駅前通りとなるところに売地があつたら世話して貰ひ度い旨を依頼し、その後、同訴外人から、駅前通りとなるところに売地があると云ふふれ込みで、右六の一の土地が売地に出されて居ることを知らされるや、その土地が駅前通りとなるところにある土地であると即断し、その為め、右訴外根本から公図の写を受取つたにも拘らず、之を詳細に検討せず、比較的辰已団地の地理に明るい前記訴外近藤房吉と自己の使用人である訴外須田てる子とを伴つて、現地の見分に出かけ、実地に見分したのであるが、右土地が判然としなかつたので、辰已団地の管理を為して居る団地事務所に赴いて、その位置を尋ね、その位置を、別紙見取図々示の位置にある公園(塚のある公園)附近であると指示されるや、右六の一の土地は、即ち右見取図々示の位置にある前記A土地であると判断し、右訴外近藤も亦共に之に同調し、その結果、右訴外人両名は、右六の一の土地は、即ち右A土地であると信ずるに至つたこと、及び右の外には調査を為さなかつたことが、≪証拠省略≫によつて、認められるのであつて、≪証拠省略≫以上に認定の趣旨に反する部分は、措信し難く、≪証拠省略≫は、右認定の事実のあることによつて、訴外鶴岡卓爾がその誤信に基いてその記載を為したものであると認められるので、その存在することは、前記認定を為す妨げとはならないものであり、又、証人茂手木喜治≪中略≫の証言によると、同人等及び訴外鶴岡卓爾は、前記売買契約締結の二、三日前頃、更に、一回、現地を見分に行つて居ることが認められるのであるが、それは、右訴外鶴岡の案内によつて現地を見、且、その帰途、前記事務所に立寄つて、説明を聞いた程度であることが、その証言自体によつて認められるので、業者に要求される程度の調査を為したものとは認め難く、更に、≪証拠省略≫によると、訴外鶴岡卓爾及び同近藤房吉が第一回目に現地に赴いた際、同訴外人等は、千葉県発行の略図を所持して居た様であるが、右供述記載によると、それは、被告提出の乙第六号証の略図の様なものであると認められ、それによると、その略図には地番等の詳細の記載はないのであるから、右略図によつて、当該地番に該当する土地を探すことは困難であるから、それによつて、現地を探したとしても、調査を為したとは云ひ難いものであり、他に、前記認定を動かすに足りる証拠はない)、以上の事実と前記認定の十日会の会員全員が不動産業者であることと証人宮崎君夫、同麻生平胤、同三橋甚一等の証言によつて認められるところの西五丁目は宅地造成が完成して居て、区分された土地には夫々地番が附せられ、公図も完成して居て、公図を検討して、現地に照合すれば、地番によつて、容易に目的土地を見出し得る事情にあつたこと等を綜合すると、訴外鶴岡卓爾は、訴外根本忠から受取つた前記認定の公図の写を詳細に検討して、現地と照合し、若くは現地を知る売主側の者を立会はせ、現地を具体的に指示させて、右六の一が何れの位置にあるかを確定すべきであつたと云ふべく、そして、かくすれば、前記六の一の土地が前記B土地であることは容易に認識し得た筈のものであつたに拘らず、之を為さず、漫然、右六の一が前記A土地であると信じ、訴外近藤房吉も亦同様にして、漫然、右同様に信ずるに至つたものであることが認められるので、右両名が右の様に信ずるに至つたについては、右両名に、重大な過失があつたものであると判定せざるを得ないものであり、又、右両名を除く他の十日会の会員全員も亦右の様に為すべきであつたものであり、そしてかくすれば当然に前記認定の様な錯誤は生じなかつた筈のものであると認め得るに拘らず、之を為さないで、漫然、右訴外人両名の云ふことを信じて、右の様な錯誤に陥つたものであると認められるので、それ等の者にも亦、その錯誤について、重大な過失があつたものであると判定せざるを得ないものである。

七、然る以上、前記表意者である訴外茂手木喜治には、前記錯誤による意思表示を為すについて、重大な過失があつたと云はざるを得ないものである。

而して、右訴外人は、原告の名に於て、その意思表示を為すことを許されて居たものであることは、前記認定の通りであるから、右の点に関する法律上の効果は、当然に、原告に及ぶものであると云はざるを得ないものである。

而して、錯誤による意思表示を為した者に重大な過失がある場合に於ては、その表意者に於て、その無効を主張し得ないことは、法の明定するところであるから、原告は、前記売買契約に於けるその意思表示が無効であることは、之を主張し得ないものであり、従つて、原告は、右売買契約が無効である旨の主張は、之を為し得ないものであると云はざるを得ないものである。

尤も、被告は、表意者である原告に重大な過失のあることは、之を主張して居ないのであるが、裁判上、原告が無効の主張を為し得るや否やは、当然、裁判所が之を判定すべきものであるから、被告が右の点について何等の主張を為して居なくとも、裁判所は、当然、右の点についての判定を為し得るものであると云はなければならないものである。而して、右の様に判定し得る以上、前記売買契約が錯誤によつて無効であることを前提とする原告の主張が理由のないことは、多言を要しないところである。

八、然るところ、原告は、更に、右売買契約は、被告の代理人である訴外麻生平胤の詐欺行為によつて、原告が錯誤に陥り、之によつて原告が為した意思表示に基くものであるから、取消し得べきものである旨を主張して居るのであるが、原告等は、前記認定の通り、重大な過失によつて、自ら錯誤に陥つたものであつて、右訴外人の詐欺行為によつて錯誤に陥つたと認めるに足りる証拠は全然ないのであるから、右売買契約が右訴外人の詐欺によるそれであることは、之を否定せざるを得ないものである。

然る以上、右売買契約が、詐欺によるそれであつて、取消し得べきものであることを前提とする原告の主張も亦理由がないことに帰着する。

九、然る以上、原告の本訴請求が理由のないことは論を俟たないところであるから、原告の請求は、之を棄却し、訴訟費用の負担について、民事訴訟法第八九条を適用し、主文の通り判決する。

(裁判官 田中正一)

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